【 解離性同一性障害、100人の証言 】    赤城高原ホスピタル

(改訂:07/08/28)


[ はじめに ] 

 解離性同一性障害の患者の症状や行動は、想像以上に幅が大きく、その治療体験は、驚異と発見の連続です。
 ここでは、筆者が直接治療にかかわった解離性同一性障害患者とその家族、周辺の人々の証言を報告して、理解の助けにしたいと思います。
以下の証言のうち、断りがない限り、患者は女性です。[このページは工事中、未完成です]


[目次]  [原因?トラウマ?] [発症] [家庭環境] [社会環境] [人格交代、危険な人格] [人格交代、私の知らない人格] [人格交代、スイッチング] [人格交代、相互関係] [非定型人格交代] [記憶障害] [解離症状] [合併医療問題] [合併精神症状] [合併嗜癖問題]  [非定型解離性障害] [診断] [自傷行為/自殺行為]  [医療]  [家族と友人の対応]  [軽快/回復] [死] [その他] [関連記事] 


[原因?トラウマ?]

ペット扱い
父親にペット扱いされていました。すごくかわいがるけど、逆らうと簡単に切れてしまい、そのときには何をされるか分かりません。日本刀を振り回したり、電気コードで大腿部をたたいたりされました。鉛筆を手のひらに突き刺されたことがあります。(DID、26歳)

父の機嫌取り
3歳のときから父親のマスターベイションの手伝いをしていました。機嫌が良い時は性虐待をし、機嫌が悪いと暴力を振るっていたのです。母親は知っていたはずですが、私と同様、父親の暴力の被害者でした。私は中学生のころから自傷をはじめました。中学2年のとき、首吊りに失敗しました。この頃の記憶は曖昧なのですが、姉が覚えていました。姉は母の姉の養子になったので、虐待被害は受けませんでした。(DID、28歳)

性的トラウマへの母親の対応
両親共にアルコール症でした。小学6年のとき、変質者から性的ないたずらをされました。酔った母に話すと、「あんたが町をぶらぶらしているから」と叱られ、「出て行け」と靴を投げつけられました。中学時代から非行グループに入り、違法薬物に手を出しました。22歳ごろ、お酒を飲み始めてから解離症状がはっきりしてきました。(26歳、DID)

逆さ吊り
3歳年上の兄は、しばしば父から殴られていました。母は、もっとひどいことをしていました。一度ですが、母は小学一年生の兄をベランダから逆さ吊りにしたことがあります。その兄は、鬱憤を私に向けました。私を攻撃対象にし、両親の留守に私に性的な嫌がらせをしていました。(DID、19歳)

消せないイメージ
自分でも、これが本当にあったことなのかどうか、そして私の解離の原因なのかどうか、分かりません。ただ思春期以後、私が自分の記憶から消そうとしても消せないイメージがあります。どこか旅行先で、父と二人で家族風呂に入っている私、浴衣の帯を父に引っぱられる場面、その二つです。記憶の中の私は多分小学校4,5年生です。それ以上を思い出そうとしたり、記憶をむりやり追い払おうとしたりすると、気分が悪くなり、ひどい頭痛がしてきます。思春期以後、父の入った後のお風呂には入れません。父の整髪剤の臭いを嗅ぐとシャワーに入らないと落ち着きません。父に少しでも体を触れられると鳥肌が立ちます。先日、デパートで仲良くはしゃいでいる父娘のカップルを見たら、失神してしまいました。5歳年上のBFといい雰囲気で体に触れ合っている時、突然、「お父さん、怖い」と言い出して、不審がられました。両親も祖母(父の母)も、父と私が二人で旅行したことはあるが、そのようなことは決してない、と言いますが、私は、これが自分の性的なトラウマだと信じています。(22歳、DID)

「役得だよ」。「ほんの冗談よ」
小学校高学年になると父と一緒にお風呂に入ることはなくなりましたが、父は、いつも私の入浴姿を覗きに来ていました。また父は、私を膝の上に乗せて、体を撫で回しました。父の手は、時々私の内股の奥まで入ってきました。私が中学生になってもその行為は続き、父は、照れ隠しのように、「父親の役得だよ」などと言っていました。高校生になってから、私が母親に抗議しても、母は、「そんなこと、ほんの冗談よ」と言うばかりで、取り合ってくれませんでした。(DID、22歳) [TOPへ]



[発症] 

変幻自在の女性
人格変化に最初に気づいたのはボーイフレンドです。切れ者のOL、はしゃぎまわる女性、弱弱しい(本来の)私、猟奇的な事件に異常に執着する女性などが同じ人と思えないこと、記憶の混乱があることに気づいたのです。お菓子を食べているときに幼児人格になることで彼の疑惑は確信に変わりました。(DID、27歳)

父にタンスを投げつけました。
父から性虐待を受けていた私は、高校卒業後に家出のようなかたちでむりやりひとり暮らしを始めました。その頃から人格のスイッチングがみられるようになりました。25歳のとき、たまたま実家に帰っていたとき、男性人格が出現、父にタンスを投げつけました。自分でも信じられないような馬鹿力です。解離性同一性障害と診断されました。(DID、26歳)



[家庭環境] 

性虐待より悲惨な家庭
記憶のある限り小さな頃から、私の両親は不仲で、けんかばかりしていました。父が暴力を振るい、母がその愚痴をほとんど独り言のように言い続けていました。自宅から3軒隣のおじさん所が私にとって唯一の逃げ場所でした。おじさんのお膝に乗って、遊んでいるうちに、おじさんが私の下腹部に触るようになりました。私たちは体中をさわりっこして遊んでいました。小学4年の時におじさんとセックスしました。おじさんは「誰にも言うんじゃない」と言いました。性行為は好きじゃなかったけど、家にいるよりはましでした。おじさんとの性行為は、私が中学1年時におじさんが引っ越して行くまで続きました。今から考えると、おじさんの行為は「性虐待」でしたが、私は、今だにおじさんを恨めません。おじさんがいなくなって、逃げ場所のない私は、家庭で両親の板ばさみになり、私の人生はもっと悲惨なものになりました。(DID、23歳)

天井にケチャップが
両親共にアルコール症でした。父親の女性問題で、母が泣き叫ぶことがしばしばありました。幼少時から殴り合いをする父母を見ながら育ちました。家の中では、椅子やテーブルが壊れ、天井にはケチャップが飛び散り、ベランダには割れたスイカが転がっていました。(28歳、DID)

母の解離性障害 
解離性同一性障害の女性です。治療面接で、自分の子供時代を振り返っていた時、思い出しました。母は情緒不安定で、よく左手首を傷つけて包帯をしていました。私の目の前で手首切りをしたこともあります。私が小学校5年位の時、両親が派手な夫婦喧嘩をした後で、確かに母が3歳くらいの幼児になったのです。母のその姿を見ると、父は攻撃の手を緩め、「わかった、わかった」と言いながら、どこかに行ってしまいました。私は一人で幼児語を使う母の相手をしていました。よく考えると、その前にも、その後にも、母が幼児になることが時々ありました。人が変ったように乱暴な人格になることもありました。そのなぞがやっと解けました。母も解離性同一性障害だったのですね。(28歳、DID)

知的障害のお兄ちゃん
小学校4年の時から、6歳年上の知的障害のあるお兄ちゃんとセックスをしていました。そのことは、私が17歳のとき、副人格のひとりが、高校の養護の先生に話して、精神科医療につながり、そこで治療をはじめて2ヵ月後に、初めて知りました。私自身は、ぼんやりとした記憶があるのですが、遠い昔の映画の中の出来事のようで、はっきりとは思い出せません。私は中学時代から記憶の欠損があり、高校時代に、別人格が現れるようになりました。

セックス実験台
父がポルノビデオのコレクターでした。モザイクなしの裏ビデオです。私が小学校高学年から中学を卒業する頃まで、4歳年上の兄が、それを盗み見して刺激を受け、私をセックス実験台にしました。高校生の頃から、解離性記憶障害や、離人症、摂食障害が発症し、やがて副人格の存在が明らかになってきました。(DID、23歳)[TOPへ]



[社会環境] 

心霊師、占い師
しばしば子供人格になってしまう私を見て、祖父母(祖父80歳、祖母78歳)が、「霊が取り付いているから」と言って、心霊師のところへ連れてきました。帰りに占い師の所に寄りました。(DID、26歳)

風俗嬢
19歳の時から、風俗業をしています。主としてデリヘルです。私には、少なくとも4,5人の交代人格がありますが、仕事中に解離症状や人格交代が出てトラブルになったことはこれまでありません。ただ、用心のために50歳以上のお客さんは取らないようにしています。父からの性的虐待の後遺症でしょうか、父世代の人とはセックスできません。私たちは、あちこち仕事場を変わるために、多くの同業者と知り合いになります。自傷行為の傷痕がある子や摂食障害の子は風俗嬢にはいっぱいいますが、最近、私と同じ、多重人格の子と仲良くなりました。その子は、もうひとり、同じ病気の風俗嬢を知っているそうです。(DID、22歳)



[人格交代、危険な人格] 

夫への虐待
お酒をのむと暴力的になります。そのため、3歳年下の夫の両腕は私が爪を立てたり引っかいたりした傷痕で覆われています。暴力的になる時に私は別人格になっているらしく、私自身には記憶がありません。(DID、26歳)

危険な副人格
分かっているだけで10人以上の副人格があります。子供人格が3人。変わった所では、性的に奔放で黒人が好きな22歳の女性、変態的男性と猟奇的殺人事件に興味がある20代前半の女性がいます。実はそれよりさらに怖い人格があります。まだ出現したことがないけど、私が闇の世界と呼ぶ心の奥底に黒覆面の中年男性がいます。その男性には殺人衝動があります。別の人格がその男が出てこないように監視しています(DID、26歳)

突っ張り少年人格
19歳の解離性同一性障害患者(女性)がいます。入院して2ヵ月目、ナースステーション前を行ったりきたりしていて、何となく様子が変なので、気をつけてみていました。ベランダの方に出て行ったので、話しかけてみるつもりで、ついて行きました。ところが彼女、突然手摺をよじ登ろうとし始めました。背丈が153cmしかないので届きません。すぐに取り押さえて、他のナースを呼びました。閉鎖病棟につれて行こうとしましたが、女性は突っ張り少年のような乱暴な口調で、「このやろう。放せ!」と怒鳴り始めました。声も男っぽくて、いつもの引っ込み思案の女の子とは、まるで違います。「あなたは誰なの?」と聞いても、「うるせー。そんなこと知るか!」と言いながら暴れまわります。すぐに主治医の院長も呼ばれてやってきて、男性3人と私で押さえつけましたが、頭を壁にぶつけようとするため、ベッドに拘束しました。しかし舌を噛み切ろうとするため、バイトブロックを2個噛ませました。それを舌で押し出そうとするため、結局、男性4人+女性ナース2人の合計6人のスタッフで格闘30分、やっと安定剤を静脈注射しました。3時間後に目覚めた女性は、いつものおどおどした主人格に戻っていました。この小柄な女性に、あんなに力があったなんて信じられません。人間の潜在能力の大きさに改めて驚きました。その後1ヵ月、謎の危険な男性副人格は現れません。(20代女性看護師)

首を切りつけたのは誰 
1ヵ月半ぶりに受診した女性は、しばしば記憶の欠損した時間帯があると言いました。面接中に、女性の首の右側に明らかな2条の切傷痕があるのを見つけた主治医は、これについて質問しました。「えぇっ、ホントー? 知らない。そういえば1、2週前、首が痛くて、触ったら少し血が付いていたんです」。医師に指示されて鏡で確認した後、「家では、鏡も見ないし。シャワーだけで、お風呂にも入らないから気が付きませんでした。誰かが切ったのですね」。<怖いですね>。「え? いいえ、そうは思いません。そのまま死んでいればもう苦しくなかったのに」。(23歳女性、DID)
[TOPへ]



[人格交代、私の知らない人格] 

愛の告白
高校時代から、友人に、急に子供の喋り方になることがある、と言われることがありました。自分ではその時の記憶がないのです。ホスピタルのホームページを見て自分が解離性同一性障害であることを確信しました。逆に積極的で大胆な副人格になることもあって、私の知らない間に、愛の告白をしたり、しつこく男性を追いかける内容のメールを繰り返し出したりするために、着信拒否されたこともありました。気味悪がられて離れていく友人もいました。そうなってほしくないので、大切な友達には、ホスピタルのホームページの解離性同一性障害の解説記事を見てほしいとメールしました。

私が知らない間に何をしたの
私は17歳。ある日、気がついたら、タクシーに乗っていて、隣の座席に知らない中年のおじさんが座っていました。その人が私の手を取って、「リンちゃん、とっても良かったよ」と耳元で囁きました。私の名前はミキ。リンちゃんなんて知りません。男は「おこづかいだよ」と言って、1万円を握らせてくれました。体に異物感と疲労感があって、ゾーッとしました。同時に、涙がどっと出てきました。アパートに帰ると、すぐにシャワー室に直行して、泣きながら、皮が剥けるほど全身を洗いました。洗っても洗っても、気持ち悪さは取れませんでした。それに、時々、「バージンなんて、もうとっくに無くしているのに、いまさらジタバタするなよ」などという声が聞こえました。錯覚かな、と辺りを見回しました。「あなたは誰?」と聞くと、頭の中で、「バーカ、リンじゃないか」と声が聞こえました。誓っていいますが、私はバージンです。少なくとも今朝まではバージンでした。今もそのはずです。でも、でも、この下腹部の違和感は何?・・・・・。そういえば、1ヵ月前にも似たような事があった。財布の中にあるはずのない5万円が入っていた。もしかしたら、もしかしたらあの時、・・・・・。リンちゃん、あなたは何者なの? あなたは私の中にいるの? 私が知らない間に何をしたの?

見慣れない携帯電話 
アパートでひとり暮らしの女性が面接時に言いました。「この頃、午前中から記憶がなくて気がつくと夕方になっていることがあります。昨日、気がついたら、見慣れない携帯電話が台所にありました。別人格が契約したことはすぐに分かりました。通信記録を見れば何か手がかりがつかめることは分かっているのですが、誰でもそうするとは思うのですが、私は触っていません。怖いからです。前にも似たようなことがありました。これまで、こういう時、メールを調べたり、私の知らない持ち物を処分したりすると必ずひどい仕返しをされましたから。最近は、どうしても必要な時以外は別人格のすることには介入しないことにしています。(22歳、DID)

ネットで買物
インターネットの受信トレイを見てみると、わたしが知らない間にいろいろな物を代引きで購入してあり、その確認メールが来ています。すべて「覚えがありません」と返事するのですが、きりがないし、時には、実際に品物が届けられたり、支払済みの品物があったりもします。(27歳、DID) [TOPへ]



[人格交代、スイッチング] 

睡眠時の人格
16歳の娘は、眠っているときにも、別人格になっています。顔つきや体位、手足や仕草、寝言などでそれがわかります。だらしなく口をあけてよだれをたらしている時は、4歳のゆきちゃん。手の甲で鼻と左の目をこする仕草はゆいちゃん(10歳)。うつむきで寝るのは、主人格の雪子(16歳)。両足と右手を伸ばして口の端でぶつぶつ言っているのはつっぱりのユカッチ(19歳)。よびかけたり、揺り動かすと、ほとんど想像したとおりの人格が現れます。たまに違うのは、起きる瞬間に、別人格にスイッチするからだと思います。(DID患者の母、39歳)

受診理由
どうして今日、ここに来たか、と問われても困ります。以前から、赤城高原ホスピタルのことは知っていました。いつか受診をしたいと思っていました。この数日間に何か特別なトラブルがあったという訳ではありません。今日気がついたら、自分の車を運転していました。「自分は何をしているんだろう。どうしてここに居るんだろう、どこを走っているんだろう」。よくあることですが、さっぱり分かりません。車を止めてナビを見てみたら、赤城高原ホスピタルのすぐ近くまで来ていました。保険証も用意してありました。誰か、交代人格がこの近くまで連れてきたのです。私には分かりません。せっかく近くまで来たので、受診しました。3年前に解離性同一性障害と診断されて治療中です。20人くらいの交代人格があります。(28歳、DIDの初診時発言。面接中に声と口調が変わったので、「ところであなたは誰?」と聞いてみたら、また別の人格になっていました) [TOPへ]



[人格交代、相互関係] 

色彩イメージの意識状態
私自身の認識は、自分には色彩イメージの意識状態があって、紫、水色、赤、ピンク、オレンジ、黒などの基本色調に応じた人格があるのです。(DID、24歳)

人格の混在
先週の自傷行為の時の人格は、私(基本人格)が20%、ナオミ(副人格)が80%位です。手首から血がドクドク出ている記憶があるけど、その前後の記憶がありません。日記を書いている時に幼児人格が顔を出すことがあります。筆跡と内容が文章の途中から急に幼稚になります。面接中にもたまに人格が混在した状態になることがあります、完全に混ざり合うということはありません。(DID、33歳)

副人格の年齢
3歳時に性虐待に遭い、13歳のときに誘拐されそうになりました。その時から人格がはっきり解離したようです。今のところ分かっているだけで17人の人格があります。そのうちの二人、基本人格と同い年の副人格ひとりと、その二人だけが年をとる人格です。残りの15人は年をとりません。(DID、18歳)

ポップアップ
運転中の車の中で助手席の娘、裕美子(17歳)が突然交代人格のユミちゃん(4歳)になって、「アイスクリームを食べたい」というので、「後でね」と答えたら、バタンと倒れてしまいました。いつもと様子が違うので、車を止めて揺り動かしてみました。これまでだったらすぐに誰か別人格が登場するのですが、今日は数分経っても目覚めません。そのうちに、ピクピクとけいれんし始めました。
困ってしまって、「あなたは誰なの、誰でもいいから出てきてちょうだい」と言ってしまいました。途端に娘はむくっと起き上がり、野太い声で「混乱させるようなことを言うのじゃない」と言いました。これまで会ったことがない交代人格です。そしてすぐに顔が幼児っぽくなり、ユミちゃんになって、「アイスクリーム」と泣き声で言いました。さらに数秒後にユーミン(20歳)になって、「子供の面倒もきちんと見られないのか」と私を叱りつけるように言いました。そして数秒後に、男っぽい声になって、「がたがた言わずに俺に任せろ!」と叫び、「クソッ」とコンソールボックスをげん骨で強く殴りました。そんな具合に次から次に副人格が6、7人も登場し、収拾がつきません。「ごめんなさい。お母さんが変なことを言ったから混乱したのね。ユミちゃんの目が覚めたらアイスクリームを買うから」と言ったら、やっと眠りにつきました。20分後に病院について起こしたら、主人格の裕美子でした。裕美子本人には全然記憶がありません。ただ、疲れと頭痛をうったえるだけです。
院長に状況を話したら、それは専門家が「ポップアップ」と呼ぶ現象で、多くの人格が我先にコントロール権を主張する混乱状態だと説明してくれました。(DID患者の母、47歳)[TOPへ]



[非定型人格交代]

不完全人格交代
面接中、ちょっと喋り方が変なのに気づいた院長、
「あなたはアヤさん(主人格)ですか?」
患者さん、「えーーと、わからない」
院長、「誰ですか?」
患者さん、茫然とした表情で答えない。
院長、「あなたはどなた?」
(2,3分沈黙後、表情が戻る) 
「今はアヤです」
「さっきは誰だったの」
「・・・・・それが、分からないのです。すみません」
(面接中に時々解離する20代女性)



[記憶障害] 

空白の時間
5歳のとき、両親が離婚しました。子供の頃、お母さんから殴られる毎日、「自分は悪い夢を見ているだけだ。目が覚めると、お母さんは優しくて、お父さんも一緒にいて、友達もいっぱいいて、あしたは夢から覚める」、と思うようにしていました。でも、悪夢から覚めないまま、思春期になりました。小学生高学年から、記憶が飛ぶことがあって、空白の時間の出来事について、お母さんや友達から嘘つき呼ばわりされました。お母さんにぶたれたときに机の角に頭をぶつけたからだろうと思っていました。今から考えると、中学2年頃から別人格があったみたいです。自分の体験としては空白の数時間があって、その間に誰かに会ったりしているらしく、後で友達からそれを指摘され、その時の様子が変だったと言われるのですが、私にはまるで記憶がないのです。そんなことがあって、もともと数少ない友達が離れていき、だんだんと孤立してしまい、いじめを受けるようになりました。(DID、17歳)

ビデオ録画
本当に見たいテレビドラマなどは、必ずビデオで録画しながら鑑賞します。そうしないと、見ている途中で、飛んで(解離して)しまって、その部分がスッポリ抜け落ちていることがあるからです。白昼夢のような状態かあるいは人格交代が起こっているようです。(DID、23歳)

知らないうちに
半年前くらいから、記憶がなくて、「あれー、さっきまで私何をしていたんだっけ」とぼうっとしていることが多くてとても怖いのです。知らないうちにコンビニに行って買物したらしいと気付くことがあります。2週間前には、私しか乗らない車のバンパーの左前がへこんでいたけど、いつできた傷なのかまるで記憶がないんです。昨日は、知らないうちに手首を切って、病院にいる自分に気付いたのです。手首切りは良くあることだけけど、記憶がないのは初めてだとその時私は思いました。だけど、看護婦さんに、2週間で3回目のリストカットで、前の2回の時も、ぼうっとしていて、それに違う名前を名乗っていた。精神科に行ったほうが良いと言われたんです。そういえば、最近リストカットが増えているみたい、と思っていたところでした。(21歳、DID初診患者の訴え)

記憶喪失の得失
友人や家族によると、私はしばしば子供がえりをしたり猫になったりしているようですが、自分ではなんとなく覚えていたり、まったく覚えていなかったりします。
知らない間に万引きをしていたり、気が付くと身の回りのもの(くつなど)がなくなっていたり、かばんの中に買った覚えのないものがごろごろ入っていたりします。
朝起きると食物の食べ散らかした跡がありますが、食べた記憶がありません。
記憶がとぎれとぎれで不安ですが、毎日がいい加減だから生きてこられたような気もします。数限りない自殺行為と自傷行為の繰り返しの5年間でしたから。(DID、27歳)[TOPへ]



[解離症状] 

体外離脱、それとも解離
小学2、3年のころから、ちょっと嫌な場面に遭遇した時、自分をパッと太平洋の真ん中の水中に疎開させることができました。その場に残る身体という抜け殻は、私がいなくても自動的に行動し喋ります。本物の私よりむしろすばやく、大胆です。ただ、本当の感情はなく、あまり深く考えず、自動的に行動するのです。高校生になってからは、この体験が「幽体離脱」とか「体外離脱」とかいうものだと知りました。もっと最近では、これが英語で "Out of Body Experience" (OBE) と呼ばれていることを知り、これを自由にできる自分は超能力者だと思っていました。解離症状だと医師に言われても納得がいきません。(被虐待体験者、DIDの疑い、21歳)

解離性遁走による海外旅行
気がついたら、成田空港でリュックをしょって、出国手続き中でした。自分がどうしてここにいるのか分かりませんでした。それからまた記憶がなく、半分夢の中のような旅行をして、結局、3ヵ月間、スペインとポルトガルにいました。以前にホームステイや海外旅行はしたことがありますが、スペインとポルトガルは初めてです。



[合併医療問題]

スイッチング、頭痛
スイッチング(人格交代)が多い日には、頭痛がひどくて、とても疲れます。入院中の仲間も、ネットの仲間も同じようなことを言っています。(DID、22歳)

解離性痛覚脱失
急性の痛みは感じません。先日、車のドアを閉めた時、手がドアにくっついたままで離れないので、よく見てみたら、右手の親指をドアに挟み込んでいました。それを見た友人がしかめつらをして「わっ、イターイ。痛そう」と叫びましたが、私は全然痛みを感じませんでした。皮がむけて出血していたし、骨折したかとおもうような挟み方でしたが、痛みはなく、骨折もしていませんでした。私の場合は、痛みを感じた瞬間に解離性痛覚脱失が起こるようです。熱いものに触った時など、火傷がひどくなる可能性があると医師に言われました。

睡眠障害
幼児期から夜驚症があります。夜、突然「キャー」と叫ぶのです。自分の声で目が覚めますが、何が起こったのか、その時には分かりません。その他、寝言があります。家族や友人によると「殺してやる」、「死ね」、「うるせー」などが多いようです。さらに、朝方、寝たまま喋ります。「あの人ってふざけてるよね。・・・・・・」などです。こんなにいろいろ症状があるので、子ども時代からお泊りは極力避けてきました。

貧血
15歳から、家族に隠して自傷行為が始まりました。左前腕をカッターで切りつけ、血液を搾り出しました。16歳のとき、学校で倒れて、病院に入院になりました。ヘモグロビンが4.8g/dl (正常値は11.2以上)になっていました。[TOPへ]



[合併精神症状] 

幻聴、幻触、金縛り
幻聴と幻触と金縛り体験があります。幻聴は子供の頃から、複数のざわざわした声です。最近それは副人格の声だと気がつきました。金縛りというのは、行動中に突然体が動かなくなり、口が利けなくなることです。数秒から数分で回復します。(DID、27歳)

暗闇恐怖、視線恐怖
暗闇が異常に怖くて、明かりをつけたまま寝ます。暗いトイレには入れません。あと、視線恐怖もありますが、視線が合うのが怖いだけでなく、男性の視線が怖いのです。幼児期から思春期にかけて暗い場所で父親に性的成長をチェックされたことが関係していると主治医に言われました。

下腹部の不快感
胸から下腹部、性器にかけて形容しようのない不快感があります。幼児期から思春期まで父親に撫でまわされていました。(DID、27歳)

制御不能の気分変動

もう自分で自分を制御することができません。暗闇の中で何もせず何日も過ごすことがあったり、気分がウキウキしてじっとしていられず、家族が止めるのも聞かず、何万円もの買い物をしてしまったり、何万もパチンコにつぎ込んだり、ローン地獄にはまりそうになったりしています。誰にも止められません。

左右独立思考
明確な人格交代や幻聴ではないけれど、頭の中が鎮まらない。深い部分が活動している感じがして落ちつかなかったり、夜眠られない事があります。時には、頭の左右に仕切りがあって、別々のことを考えているのが分かるように感じることもあります。

止められない独り言
私には、人格交代のほかに不思議な症状があります。日常生活で、ちょっとぼやっとしている時、たとえば電車で座っている時、お買物している時、周りの人に聞こえるくらいの声で、ムニャムニャ意味不明のことを喋ってしまうのです。自分で気合を入れていると抑えられるけど、放っておくと、あるいはぼんやりしていると、どんどん声が大きくなります。周りの人が気味悪がって私を避けて離れていくのが分かります。冷汗が出るほど恥ずかしいのに、夢の中の出来事のように自分では止められません。少なくとも5年位前からこの症状があります。(DID、26歳) [TOPへ]



[合併嗜癖問題] 

処方薬乱用、1
入院前、精神科クリニックから15種類の薬、1日30錠を処方されて、内科処方、4種類と一緒に服用していました。昼間から半分覚醒、半分睡眠状態で、体のふらつきが強くて、ほとんど立っていられませんでした。公共交通機関が使えず、東京からタクシーでホスピタルに入院しました。院長に処方薬乱用と言われました。2ヵ月の入院で、精神科薬が2種類、内科薬が1種類になりました。体調も気分も良好です。私には、8人の交代人格がありますが、入院前の診断は、「境界性人格障害」でした。(DID、23歳)

処方薬乱用、2
16歳から、記憶が抜けることが時々ありました。高卒後、会社勤めをしていました。気がつくと、自宅のアパートで、バッファリンとナロンエースの空箱とワンカップの空瓶が周りの床に散らかっている中で、目覚めることが多くなってきました。(DID、19歳)



[非定型解離性障害] 

記憶のあるスイッチング
私は、本来の自分の他に3人の「状態」を持っていますが、スイッチングの後にも、大抵は共通の記憶があります。3人の違いについて、周りの大部分の人は気が付かないと思います。

フラッシュバックの前に部分解離
なぜ家が近くなると気分が悪くなるのか、ホスピタルに入院して3度目の外泊時、運転して帰宅途中に、突然ひらめきました。町のあちこちに私自身の歴史とトラウマ体験が刻み込まれているのです。小学校時代、真夜中に家を飛び出して、行く当てもなく歩いた道。小学校五年の時、電車に飛び込みかけた踏切。私をレイプした男が住んでいたと思われるアパート。自傷したりOD(大量服薬)したりして運び込まれた市民病院。・・・・・などなど、思い出すとフラッシュバックからパニックになるので、それらひとつひとつのことをそれと気づく前にちょっとだけ解離するのです。そうすると町並みが初めての場所のように感じたり、異次元の世界に入り込んだように感じたりします。気分が悪くなるけれど鈍くなった感覚の中で運転中にトラウマ体験を思い出すという危険には遭わずに済むのです。

聴覚のスイッチオフ
私は、自分の聞きたくない苦情や愚痴、情報に対して、半分意識的、半分無意識的に聴覚のスイッチを切ることができます。子ども時代、ケンカする両親の怒鳴り声、母が私に垂れ流した愚痴に対処するため自然に会得した自己防御の方法です。母が何か愚痴を言い出すと、即座にスイッチオフです。「大体あなたは、だらしなくて、・・・・・、この間も、・・・・・」点々のところは、「ワンワンワンワン」と意味なしの音にしか聞こえません。たいていの人は気づきません。院長に指摘されて、「えっ、この人どうして知ってるの」と驚きました。



[診断] 

鳥肌
主治医や院長から、看護師への解説を聞いても、解離性同一性障害という病気を全面的には信じられませんでした。何より、20年間の精神病院勤務の私の経験がそんな病気の存在を受け付けませんでした。他の看護師から、人格交代の場面の報告を聞いても、その人たちはだまされているんだと思っていました。時々子供返りする患者さんの言動をどうも演技っぽく嘘っぽく思っていました。

ある日、私が夜勤をしていたら、突然、子供の泣き声が聞こえました。16歳のDID患者の部屋からです。部屋に駆けつけてみると、患者さんがベッドの上で膝を抱えて大声で泣き叫んでいました。「許して、許して、もうしません。もう、もう、はたかないで。トイレに閉じ込めないで。ごめんなさい」
正直に言って、私はその子が嘘泣きをしていると思いました。あまりに大げさな泣き方だと思ったからです。それでも職業柄、形だけでも慰めようと肩に手を置くと、その子は「ヒー、痛いー、やめて」と悲痛な叫びを挙げました。その時私は、しっかりとこの目で見ました。患者の頭と額は冷汗で湿り、両腕と大腿部、首筋に鳥肌が立っていました。両膝の間に伏せた顔を下からのぞきこむと、大粒の涙が流れ落ちていました。さらにその下のお尻から足元のあたり、シーツが濡れていました。恐怖のあまり尿失禁をしたのです。嘘泣きではない。この患者は本当に4歳の被虐待者の体験をしていて、今痛みを感じているんだ。「許して、許して」とブルブル震える大きな「幼児」を前に、私は自分の体にも鳥肌が立つのを感じました。その瞬間、患者は「キャー」とひときわ高く叫び声を挙げてバタンと横に倒れそのまま失神してしまいました。5分後に目覚めた患者は、駆けつけた当直医と私を不思議そうに見上げてゆっくりと言いました。「どうして先生と看護婦さんがいるの、私が何かしたの」

私は、自分の体験から言えます。解離性同一性障害の診断を受け入れられない医師や看護師は、要するに、この疾患を持つ患者を見たことがないのです。あるいは、経験が少なすぎるのです。典型的な患者を何例か見れば、誰だってこの疾患の存在を受け入れざるを得ません。(40代、看護師)

診断を受け入れる
私の日記帳にクレヨンで子供っぽいいたずら書きをしたり、最近では、いじわるなコメントを書き込んで嫌がらせをしている人が私自身の別人格以外には考えられないので、ようやく自分の解離性同一性障害の診断を受け入れることができるようになりました。(DID、24歳)

精神科医が作り出した病気?
私は、中学時代から失神癖、自傷行為や不登校などで断続的に精神科に通院していました。精神科の治療歴は成人期の現在まで続いています。診断は、不登校、うつ状態、境界性人格障害、統合失調症などでした。小学校前の記憶がほとんどなく、私は自分で自分のことが分かりませんでした。19歳で8歳年上の義姉(母の最初の結婚の子)と同居を始めて3ヵ月、大量服薬や自傷を繰り返す私を義姉が問い詰めていた時、突然私の別人格(16歳の女性)が登場して、義姉に驚くべきことを打ち明けました。私の母は、4回結婚して4回離婚、私は4回目の配偶者との間に生まれました。4歳年上の義兄(2回目の配偶者の子)と性的な遊びをしていました。それは私が、幼稚園時代から小学校を卒業するまでずっと続きました。義姉が赤城高原ホスピタルに私を連れてきました。何がなんだか分からず、別人格とか性的虐待の話も初めは信じられませんでしたが、治療を始めて6ヵ月、ようやく自分の病気が受け入れられるようになりました。この疾患を精神科医が作り出した病気だと言う人がいるそうです。少なくとも私の場合は違います。もっとずっと早い時期に診断がついていれば、自傷行為で両手がこんなに傷だらけにならずに済んだかもしれません。(20歳、DID)[TOPへ]



[自傷行為/自殺行為]

自殺未遂、自傷行為
高校時代から自殺未遂が7,8回あります。ほとんどが市販薬、睡眠薬、安定剤のまとめのみです。自傷行為は数え切れません。(DID、27歳)

小5の首吊り未遂
小学五年生のとき、最初の首吊り未遂をしました。父親の性虐待があったのです。その頃から、基本人格は隠れていて、元気のよい副人格の方がなり代わっていたようです。

公衆トイレで血だらけに
カウンセリングを受け始めて5ヵ月、性虐待について話した日、帰宅途中から記憶がなく、気づいたら公衆トイレで血だらけになって倒れていました。カッターナイフを下腹部に深く差し込んだのです。10針縫合しました。交代人格の仕業だと思いますが、誰がやったのかはわかりません。(DID、31歳)[TOPへ]



[医療] 

記憶回復の危険性
最近思い出したことは、トイレで父親のペニスを持たされて小便の手伝いをさせられたこと、フェラチオをして精液を飲まされたことです。治療によって父親の性虐待の記憶を取り戻すに連れて、自殺衝動と自傷行為はむしろ増えてきました。危険な自殺未遂のために入院になりました。(DID、26歳)

治療ターゲットの変遷
治療を始めて2年になります。考えてみると、この間に何度か治療上対応すべきテーマの変遷があったようです。最初の半年は、家族騒動と本人の人格交代、治療体制の確立、次の6、7ヵ月は、本人の自傷、自殺行動と治療スタッフの拒否反応、次の4、5ヵ月は低体重(30kg以下)と内科的治療、そして最近の半年はひきこもりとアルコール問題です。(DID、17歳)

葉っぱをたべる訳
23歳の亜紀ちゃんは、時々4歳のよっちゃんになります。その時は、看護師が気をつけていないと、目の前にある植物の葉っぱをすぐに口に入れます。放置しておくと本当に食べてしまいます。主治医の指示で、担当PSW(精神科ソーシャルワーカー)が面接しました。
4歳のよっちゃんを呼び出し、PSWが聞いてみました。
「どうして、葉っぱをたべるの ?」
(ポロポロ泣き出し)
「あのね、よっちゃんがね、おさしみのよこにあるみどりのはっぱをたべなかったら、おかあさんが、だめって、いうの。こんなこいらないって、いうの。だから、よっちゃんが、はっぱをたべれば、いいこ、っていわれるかもしれないとおもったの」

にゃん子
両親からのネグレクト、母からの暴力、父からの性虐待がありました。小学校時代から、白昼夢があり、数十分から数時間のブラックアウト状態がしばしばあります。中学時代から、不登校と自傷行為、摂食障害が始まりました。何とか進学しましたが、高校時代からはアルコールと処方薬乱用による自殺未遂を繰り返しています。自殺衝動が強い時や緊急時には、にゃん子という第二人格になります。にゃん子は小学校3年生くらいの女の子(半人半獣)ですが、第一人格(紀子)よりはずっと理性的で感情が安定しています。紀子の自殺の邪魔をしたり、紀子に代って現実的処理をしたり、状況を周囲の人に説明したりします。その時には棒読み状の喋り方になります。紀子(第一人格)とにゃん子(第二人格)は、別個の人格ですが、お互いの記憶は融合していて、その意味では完全に分離しているとは言えません。片方が優勢の時には、もう片方の劣勢人格は後方に退いて、優勢な人格の言動をぼんやりと見たり聞いたりしています。その場面の劣勢人格は優勢人格に介入はできません。

3年前、その時の主治医と面接中に、突然人格交代のスイッチが入ってしまい、にゃん子になって喋りだしたら、その医師は、「私は精神科医で獣医じゃない。人間となら面接するが、猫と話すつもりなんかない」と怒鳴りました。それ以来、にゃん子はすっかり臆病になって、安全な場所にしか出て来なくなりました。自傷行為や自殺行為を止める役割のにゃん子がいないので、その後現在まで、救急車で運ばれたり緊急入院したりすることが多くなりました。(DID、22歳) [TOPへ]



[家族と友人の対応]  

甘えん坊のあいちゃん
私自身が虐待をしてきた母親だから仕方がありませんが、基本人格の愛香(18歳)は、私に手も握らせてくれません。でも3歳のあいちゃんになった時は、私に甘えてきます。だから、この時とばかり、抱っこしています。娘がいとおしくてたまりません。(DID、18歳の母、48歳)

俺をおちょくるな
カナコとは2年の付き合いです。最近半年くらい、今までしていたことが分からない、今話していたことが分からないなどというものだから、時々、「俺をおちょくるな」と怒鳴ったり、問い詰めたりしました。そうするとカナコは、頭を抱え込んで混乱状態になります。ひどい頭痛がすることもあるようです。時には、「ワー」と大声をあげて、スッと落ち着くこともあります。そのうちに、カナコの中に何人か別の人格があることに気付きました。高飛車で生意気なアッコ、ノーテンキなノッコ、いつも憂鬱そうなユッコなどです。他にも数人いるようです。どうやら、おちょくっているわけではなさそうです。(21歳、DID女性のボーイフレンド、28歳)
 [TOPへ]



[軽快/回復] 

お小遣い
治療開始後も交代人格の存在をどうしても受け入れられず、主治医に「そんな訳の分からないことを言われても困ってしまう」とか、「そんな人知らない」と言っていた患者が、1年間の治療後、「最初からお小遣いを3人に分けておこうと思うの」と言い始めました。というのは、コンビニに買物に行った時、知らないうちに、買い物カゴの中におもちゃやお菓子とお酒が入っているからです。おもちゃとお菓子はアヤちゃん(4歳)が、お酒はマッキー(20歳)が現れて買うようです。レジで気づいた患者(基本人格)が「こんなもの要らない」と思って返しに行ってもレジまで来るとまた同じ物が入っていたり、時にはお菓子やお酒がかえって増えていたりします。何度やっても同じです。(DID、18歳)

感謝を示す方法
親しい男性と食事に行き、そのあと体を求められましたが、丁重にお断りしました。私にしては画期的なことです。私は今まで自分の体を公衆便所のように扱ってきたことに赤城高原ホスピタル入院中に気づいたのです。その友人はよくご馳走してくれたり、私に私のほしいものをプレゼントしてくれたりしてきました。そのお返しに、私は、その度に彼の性的欲求に応じてきました。彼に限らず、男性はいつも私の体を求めている、だから感謝を示す方法は性的サービスしかないと思い込んでいました。不思議なことに、この男性とのセックス抜きの関係は、その後も続いています。(DID、28歳)



[死] 

主人格、基本人格、交代人格
主人格はある時、死んでしまったり、代わってしまったりすることがあるが、基本人格が死ねば、交代人格も全て死ぬということは、全てのDID患者にとって変えられない現実です。

索状痕
2ヵ月ぶりに受診した患者を面接中に、首の右半分にはっきりとした2条の索状痕があることに気付きました。
「それは、何?」と聞く院長。
「何ってなに?」と患者はきょとんとしています。
「鏡を見てごらん」
鏡を見た患者、「きゃー、だから首が痛いんだ。これって私が首吊ったの? それとも首絞めたの?」
「それは、わたしが聞くことです。あなた、本当に記憶がないの?」
「はい、私は鏡が怖くて、とくにひとりの時には、決して鏡を見ないんです。1週間くらい前から、何だか首が痛くて変だとは思っていたんです」
「ふーーん、そうなんだ」
(26歳DID、信じがたい話だが、この患者さんの場合、多分本当。他にもこのような話が色々ある。そのうちいくつかは以前、入院中にも起こった。生きているのが不思議という患者さん)
[TOPへ]



[その他] 

お父さんへ
お父さん、あなたは3歳の私にした事を忘れたのですか? 本当に?
お母さんのいないあなた達のベッドの上で並んで横になって、
お酒臭い息を吐きながら、「怖い」と言うMMちゃんをグイッと引き寄せ、
のしかかり、MMちゃんの小さな体のMMちゃんの大切な場所に指を入れ、
それから、ペニスを入れたでしょう? あなたは忘れたのですか?

あなたが忘れても、私には忘れられません。
今起こっていることのように痛みと恐怖を感じます。とはいっても、
その記憶は、すりガラスの向こうの出来事みたいです。
3歳の私は強烈な痛みと恐怖、絶望から心を守るために、解離したのです。
3歳に始まった性虐待の苦痛はNNという交代人格が私の代りに受けてくれました。

NNも私もものすごく怒っています。どす黒い怒りの大蛇が私たちの心に棲んでいて
時に暴れます。そういう時に私たちは腕を切ったり、首を吊ったりします。
この怒りの大蛇をどうすればいいのでしょう? どうやってなだめたらいいのでしょう。
これから先、生きていられるかどうかわかりません。
考えると、怖くて怖くて心が凍りつきます。[TOPへ]


[ 当院サイト内、別ページの関連記事 ]

解離性同一性障害
解離性同一性障害、回復者からの報告

トラウマと解離性精神障害
解離症状の実例

PTSD
PTSDの治療

虐待被害者の声 
アダルトチルドレン


ご連絡はこちらへどうぞ ⇒ address
または、昼間の時間帯に、当院PSW(精神科ソーシャルワーカー)にお電話してください ⇒ TEL:0279-56-8148 

AKH 文責:竹村道夫(初版: 03/05/29) 


[トップページ] [サイトマップ]