【 酒害者家族からのメッセージ 】            

(改訂 02/01/17)


 
 [Case 1. 私の家庭は次第に修羅場になって行きました ] 

 私は25歳で結婚しました。2歳年上の夫は結婚前から酒豪でした。結婚後は、朝酒をしながら仕事をするようになりました。結婚して20年目頃からは、連続飲酒が始まり、内科病院に入退院を繰返すようになりました。短期間の入院をして、体調が良くなれば、退院してすぐに飲み始めるという繰返しでした。

 飲めば暴言、暴力の毎日です。何をどうすれば良いか分らず、私は思いつくままあらゆる方法を試しました。哀願、説教、脅し、おだて、・・・、と言った具合です。何をしても効果はなく、問題は悪化の一途をたどり、私の家庭は次第に修羅場になって行きました。それでも精神病院という名前にはこだわりがあって、私も夫も、入院はもちろん、相談することすら拒否し続けていました。問題を世間からひた隠しにして、私は必死に働きました。今から考えると、私は問題の本質から目をそらし、仕事に逃げていたのかも知れません。でも、そんな生活にも限界があります。

 いつのころからか私は、夫が早く死んでくれないか、と思うようになりました。そしてつらくみじめな毎日に疲れ果て、思考力もなくなり、自殺を考えるようになりました。

 どうにもならなくなった頃に、アルコール症の専門病院を知りました。他に方法もないので思い切って、夫を説き伏せ入院させました。私自身も、うつと不安、混乱状態の治療のため、同じ病院に通院し始めました。

 夫は、入院直後こそ、専門病院の治療に強い拒否反応を示していましたが、2度のスリップを重ねる中で、徐々に自分のアルコール問題に気づき、自助グループにつながり、回復に向けて歩み始めました。私自身は、酒害者の家族として、専門病院の家族ミーティングに参加し、多くのことを学ばせていただきました。

 私たちが苦しんでいるのは、アルコール依存症という病気に関わる問題でした。アルコール依存症は進行性の病気ですが、治療法があり、回復できる、と教えられた時には、驚いたり、ほっとしたりしました。もう私たちは一人ではありませんでした。回復の過程で大勢の仲間、援助者に助けられました。その出会いは、経験と力と希望を私たちに与えてくれました。

 夫はお酒を止めて7年になります。私たち夫婦は、共通の話題を持ち、協力し合える関係になりました。酒害家庭の地獄の苦しみは、もはや記憶から消えつつあります。それだけ今は幸せな毎日です。こんな日が私たちの家庭に訪れようとは誰が予想できたでしょう。

 気持が落着くにつれ、私は、自分たちの経験を少しでも役立てたい。私たちが多くの先行く仲間から助けられたように、私も仲間を助けたい、と思うようになりました。そこで、私は赤城高原ホスピタルの院長先生にお願いして、1999年の夏から、火曜日の午後にホスピタルで家族メッセージをさせていただいています。

 最後に、アルコール依存症は、自分の意志ではどうにもできない病気であり、しかし治療によって回復はできるということを世間の人々にご理解いただき、偏見のない社会になることを願っています。

 私の手記が、まだ苦しんでいる方々のために、少しでもお役に立てれば幸いです。 (酒害家族、H.K.さん 1999.12.)



[Case 2. 本来の自分を取戻しつつあります ] 

 私本来の自分を取戻しつつあります酒害者の母です。40代息子のアルコール問題、暴言、暴力のために、家にいられなくなり、知人宅を渡り歩いて逃げまわり、不安、恐怖、混乱のはてに、心も体もボロボロになり、自殺を考えていた頃、地元の保健所の紹介で赤城高原ホスピタルを知り入院しました。

 ここでは、昼は院内の家族ミーティングに出席し、嗜癖問題について勉強します。出席者が私と同じような家族問題をかかえているので、仲間意識が芽生えます。また、共通の問題、具体的事例について話し合うので、体験的教育になります。とても分りやすいケースワーカーの解説は、こんがらがった糸をときほぐすようです。そのほか、教育プログラム、回復者家族のメッセージ、院外のミーティング、退院患者との交流、自助グループ、セミナーと、治療プログラムは盛りだくさんです。

 入院後1カ月目の私の日課。朝食前に体育館のトレーニング用自転車を1時間こぎます。1週間に3回くらいは、入院中の仲間と連れだってホスピタル前のゴルフ場(赤城ゴルフクラブ)を一周します。ホスピタル伝統の散歩コースです。私はもともとスポーツ好きで、17年間もエアロビックスをやっていたのに、最近は家庭問題でそれどころではなくなっていました。ゴルフ場周りの坂道を速足で1周すると、久しく忘れていた快感を思い出しました。山登り大好きの仲間におだてられて、病院横の坂道を一気に駆け上がると、60代後半の私が20歳も若がえったようです。

 息子の問題が片付いた訳ではありませんし、それについて私にできることはありませんが、私自身は徐々にしかし確実に回復し、本来の自分を取戻しつつあります。家族のことを考えると、ちょっと淋しかったりもしますが、ここホスピタルでは健康的な楽しい毎日です。 (酒害家族、T.N.さん 1999.12.)



[Case 3. 暴力夫のもとを逃げ出して、・・・ ] 

 暴力夫のもとを逃げ出したものの行き場がなくお金もなく、幼児を連れているし、どうしたものか途方にくれてしまいました。逃げている途中も涙がとまりませんでした。「これで良いのだろうか」とか「私が悪いのではないか」という思いとの葛藤で、混乱状態でした。でも子供も一緒だったので、自分がしっかりしなくては、とも思いました。

 知人に勧められ福祉事務所に相談してみました。すぐに入居先を手配してくれました。母子で保護施設に入ることができました。施設には、私と同じように暴力から逃れてきた人がいて、その人たちに話すことが何よりの安定剤でした。

 ある日、福祉事務所の方が一冊の嗜癖関連の本を送ってくれました。読んでいて自分が「アダルトチルドレン」だと気づきました。子供の頃から、どうして自分は他の人たちと違っているんだろうどうして自分の人生はこうも悪いことばかりなんだろう、と感じていました。

 自分の気持よりも周りの期待に応えることを第一に考えてきました。求められるままに結婚したら夫はとんでもない人でした。生活費は入れない。夜はどこかに行ってしまう。挙句の果ては、お酒を飲んでの暴力です。しかし子供ができればなんとかなるだろうと、我慢してきました。夫の暴力から離れるのに3年かかりました。

 自分の幼児期からの問題について気づいたことを施設の相談員に話してみたら「赤城高原ホスピタルに行ってみたら」と勧められました。実はその時はもう自宅に戻る方針を決めていて、その前にちょっとホスピタルを受診してみた、という感じでした。

そしたら院長先生に「あなたが入院しなさい」と言われました。「どうして私が?」と驚きました。子供もいるしそんなことできないとも思いましたが、「このまま自宅に帰って、今までとどこが違うの?」と聞かれると何も答えられませんでした。1日考えて入院することに決めました。入院中、子供は関連施設で預かってくれました。

 保護施設での静かな日々とは正反対で、入院してからは個人カウンセリング、集団カウンセリング、家族の懇談会、教育プログラム、各種ミーティング、自助グループのメッセージと次から次に学習の機会があります。いろいろな立場の仲間の話を聞くと考えさせられることばかり。院外(精神保健福祉センター)の研修会にも仲間と一緒に院長先生運転の車で連れて行っていただきました。どれだけ心が癒されたかわかりません。あっという間に2週間が過ぎてしまいました。

 周りの期待に合わせてただただ我慢する、という生き方以外に知らなかった自分にとっては、目の覚めるような体験でした。これからも、外来に通院しながら自助グループにつながって自分の過去を見つめ回復の歩みを続けていきたいと思います。

 院長先生、ケースワーカーさん、看護の方々、福祉や施設のスタッフの方々、そして入院中知り合った仲間の方々、本当にありがとうございました。自分は一人ではない。多くの人に支えられていると実感できました。

 いま私は夫とは別居しています。離婚に向けて準備中です。どんな人生になるにしても、これからは自分で選択していくつもりです。 (バタードワイフ 20代、 2001.3.)



[Case 4. 回復へのスタートがこのような方法で導かれるとは思いもつきませんでした ] 

 夫は30代で胃潰瘍のため胃の手術をしましたが、その後に徐々に酒量が増加してきました。しかし仕事にも穴を開けるようなことはなく、真面目に一生懸命働いていました。その頃、大学生になった娘に「お父さんの飲み方おかしいよ。異常じゃないの?」と言われたこともありました。50歳ころには、肝機能検査で、GOT、GPTの異常値を指摘され1ヵ月位内科病院に入院しましたが、退院時には正常に戻ったので、「アル中ではない」と夫も私も思いました。今から考えると、私自身が否認と共依存状態に陥っていたのです。この時がアルコールから目をそむけず、依存症について学ぶチャンスだったのですが、私は専門医に相談することもなく、本を読むこともしませんでした。

夫は65歳で定年になり、終日を家で過ごすようになりました。酒量は更に増え、家庭は不信感と口論でとげとげしくなってゆきました。なまじっか町の福祉の手伝いをしている私は、見栄もあり、恥ずかしさもあり、保健婦さんにも相談できず、オロオロするばかりでした。

いよいよ見かねた娘が、本屋でアルコール症の専門病院を紹介した本(アスク・ヒューマン・ケア編集の「アディクション」)を購入してきました。それがきっかけで夫は赤城高原ホスピタルにつながりました。3ヵ月入院をして退院してきました。見違えるように元気になった夫は断酒を続け、以前と同じように平穏な夫婦の会話ができるようになりました。

ところが退院2年後に、夫はスリップ(再飲酒)。たちまちのうちに酒漬けの毎日に戻ってしまいました。私が断酒を勧めても入院を勧めても夫は全く耳を貸そうとしません。ほとんど食事も摂らないで飲んでいるので夫はどんどん痩せていきました。アルコール性痴呆になるのではないか、死んでしまうのではないか、と私は気が気ではありません。夫がどうしてもホスピタルを受診しようとしないので、2ヵ所の内科診療所を受診させましたが、内科医はどうすることもできず、飲酒はひどくなる一方でした。家庭は次第に修羅場になってきました。心労のあまり夜も寝られず、私もすっかりうつ状態になってしまいました。4ヵ月後、仕方がないので、私一人で、ホスピタルの院長先生に相談に参りました。

「あなたが支えているからご主人は飲み続けていられるのです。お勧めできることはただひとつ。即、あなたが入院しなさい。まず初めに4日間。そしてその次に更に11日間。ご主人ではなくあなたの入院ですよ。まずあなたの回復。ご主人はその後です」と念を押されました。ホスピタルでは月曜日から木曜日まで週前半の4日間に集中的に家族プログラムがあります。11日間の入院では、月曜日から翌週の木曜日まで2週連続で家族プログラムに参加するのです。

仕事を休むため、町の職員数人に私の入院について話しました。「あなたが入院するんですか」とどの職員もびっくり。だけど考えてみたら代案もないので、結局、「専門家が言うことだから是非そうしてがんばって下さい」とみんなに励まされました。

数日後、「私に相談もせず、勝手に決めて」と怒る夫、「悪いけどお父さんには関わらないよ」という娘の言葉を背に私は一人で赤城へ向かいました。4日間の入院中、アルコール依存症、アディクションについての勉強や家族会、ミーティング(朝・晩)。精神保健センターでのミーティング、AKK等々、ぎっしりと家族向けのプログラムがありました。私は休む暇もなくこれらに出席しました。いつの間にかうつ状態も不眠症もなくなっていました。院長先生、ソーシャルワーカーさんから「奥様が入院できたのはすばらしい」と誉められました。夫についても、「2年間断酒できたのはたいしたものです」、「上出来です」と言われました。

4日間の入院を終え、帰宅して、先生方が2年間の断酒をほめていた、とその言葉どおりを夫に告げました。夫の目が涙でうるみ、顔がゆがみました。プライドの高い夫は、前回退院後にまた飲み始め、やせ衰えた体で病院スタッフに会う勇気がなかったのだと思います。夫のかたくなな心が緩みました。「私は来週再入院します。今度は11日です。新幹線の切符を2枚買いますよ」という私の言葉にも夫は拒否しませんでした。私たちは夫婦でホスピタルに向かいました。

4ヵ月の間、私と娘がどんなに入院を勧めても決して動かなかった夫が、たった4日間私が離れたことで入院する気になったのです。不思議なことでした。回復へのスタートがこのような方法で導かれるとは思いもつきませんでした。躊躇したり、恥ずかしいと思ったり、あきらめたりせずにアルコール依存症の専門家に相談する大切さがよくよく判りました。

再入院の日、夫は歩行もおぼつかないほどに衰弱し、まともな会話もできませんでした。診察した医師からは、「これほどに弱っているとは思いませんでした。もしかしたら痴呆もあるかもしれません。回復は保証できません。2、3週治療してみて、回復が見られないようだったら、介護保険の申請をした方がよいかもしれません」と言われました。

夫が3ヵ月入院している間、私も月に2回程度病院に通いました。面会の度に夫は元気になり、精神的にも明るくなってきました。2ヵ月後には病院近くのゴルフ場外周道路一周の散歩もできるようになりました。入院初期の頃が嘘のような回復です。家族会や朝夜のミーティングでも、夫の目覚しい回復が話題になりました。

夫は3ヵ月の再入院を終えた後も断酒を続け、すっかり元の元気を取り戻しました。どこにも出口がないように見えた修羅場の家庭を回復に導いて下さった院長先生、スタッフ、温かい言葉をかけていただいた入院患者の方々に感謝の念でいっぱいです。アルコール依存症は回復するが、治癒のない病気。今度こそ通院を続け、自助グループにも参加しながら、夫婦で仲良く二人三脚を続けたいと思っております。それが大きな負担をかけてしまった娘への償いになることを願っております。 (共依存の妻、60代)


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AKH (初版: 99/12) 


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